自己紹介
―――――――「負けたことがある」というのが、いつか大きな財産になる(堂本監督)
初めまして、わたしです
皆さん『浪人生』ってご存じですか?世間から爪弾きにされている人々のことです
まあ爪弾きというのは冗談にしても、社会的に見て浪人生とは就学も就労も職業訓練も行っていない人々なわけです。立派な(?)NEETです。
もちろん、好き好んでニートになる人は(一定数はいるが)そういないでしょう
ではなぜわたしが浪人を、それも二年もすることにしたのか、自己紹介をしたいと思います
わたしは昔「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」という本を読みました。そこで すごい!経営って面白い! と思い経済・経営学に興味を持ちました。
そして、高校生になり進路を決めるときになると、県内にあり経済・経営学の強い神戸大学に行きたいと志望しました。
元々私は京大阪大志望だったので、志望を下げるとそこそこいい成績が取れました。A判定もとりましたし、9月の東進マーク模試では9割を得点しました。
この時からわたしは勉強をほとんどしませんでした。神戸大学経営学部にはセンター優先方式という、センターで上位30%だと二次試験が0点でも合格するというものがあり、その合格圏内だったので
「このまま行けば受かるやん!」
となったからです。今考えるとアホの極みですね。
そして迎えたセンター当日・・・結果は7割5分という悲惨なものでした。
上位30%どころかボーダーにすら届かず、浪人を決意。当時合格できる大学を受けさせられて蹴りました。
浪人して予備校に通い始めました。駿台でした。
実力派の講師陣の授業は面白く、浪人生なら当然ですが模試の結果もよかったです。
だから、わたしは勘違いをしてしまったのです。そう、
「このまま行けば余裕で受かるやん!」と・・・
ですが、現役の失敗もあり、9月頃になるとそろそろやらねばマズいかなあ・・・と思い始め勉強に本腰を入れ始めました。
しかし、ここで一浪の失敗の最大の原因ともいえる事態が起こります。このころから母がわたしをいびりだしました。
昔からやたらとわたしをバカにしてくる母でしたが、浪人の秋頃というメンタルがきつくなってくる時期にそれをやられると驚くほど効きます。
わたしは24時間母に言われた暴言が忘れられなくなり、勉強中もフラッシュバックして泣き出してしまい、まったく勉強に手がつかなくなってしまいました。
そして迎えたセンター当日、結果は7割8分。現役からほとんど伸びず、ボーダー下ですが特攻できる圏内ぐらいしか取れませんでした。
怒り狂った親は岡山大学以外受けさせないと言われました(おそらくこの近辺だと普通に評判が良く、かつ入りやすいところを自分の体裁を保つために受けさせたかったのだと思います)
こうしてわたしの受験は消化不良のようなまま終わりました
しかし、このままでは諦めきれないということ、自分のやりたいことができる大学に行きたいという強い気持ちがあるということから二浪を決意しました。